以前、ある人がぼくの作品を「ジャーナリスティック」と評したことがある。彼はぼくが「美術ジャーナリスト」を名乗っているためそう評してくれたのだが、ぼく自身は絵描きとジャーナリストの立場を切り離して考えていたので、意表を突かれた。それに「ジャーナリスティック」というと、「軽々しい」「時流におもねっている」「扇情的」といったニュアンスが感じられるものだ。

でも考えてみれば、たしかにぼくはジャーナリスティックと受けとられるような絵を描いている。画集をそのままタブロー化したり、戦争画を縮小コピーしたり、名画の上半分だけ描いてみたり……。モチーフはいつも「絵画」であり、「芸術とはなにか」をテーマにしているが、ついおもしろおかしく仕立ててウケを狙いたがるので、ジャーナリスティックといわれても仕方がない。

ならばいっそのこと、思いっきりジャーナリスティックな絵に徹してみようか。ぼくが美術ジャーナリズムの世界に足を踏み入れてからもう40年余り。その4分の3は平成の時代になる。この間に見聞きし、目に焼きつき、心に残った古今東西の美術ネタをあらためて掘り返し、描いてみた。選択基準は、自分が興味を持ったことと、絵になることの2点。美術品の盗難、破壊、贋作ネタが多いのは、ぼくの関心の偏りを示している。さらに、ただ「描く」だけでなく、それぞれにコメントを付すことで「書く」作業も加えた。これでようやく美術ジャーナリストと画家という2つの立場を共存させることができたように思う。


Someone once described my work as 'journalistic'. He said that because I called myself an "art journalist," but I was surprised because thought of myself as a painter and as a journalist separately. Moreover, when we call works “journalistic,” we take atmosphere such as “lighthearted,” “flirting with the times,” and “sensational.”
But I certainly draw pictures that can be perceived as journalistic. I made a tableau of an art book, made a reduced copy of a war painting, and drew only the upper half of a famous painting. The motif is always "painting", and the theme is "What is art?".It can be called "journalistic" because I make works ti be funny and appealed.
Ok then, let's devote myself to" journalistic paintings". It's been over 40 years since I stepped into the world of art journalism.I drew what I saw and heard, was impressed about  the art things of all ages and world. There are two criteria for selection: what I am interested in, and what becomes a picture.You find many works about thefts, destructions, and counterfeitings that  shows my biased interest. Not only just "painting", but also "writing" comments about works. I think I have finally been able to coexist asf an art journalist and a painter.
ラスコー 2019 32×41cm    ”Lascaux”
もうずいぶん前の話だが、パリからスペインに向かう途中、ラスコーの洞窟壁画のあるヴェゼール渓谷沿いのレゼイジー村に寄り道したことがある。壁画の描かれた洞窟が閉鎖されて見られないことは知っていたが、国立先史博物館もあるので寄ってみたのだ。博物館は遺跡の一部を取り込むため、断崖にへばりつくように建てられていた。あれから30年以上たち、もうラスコーを訪れることはないだろうと思っていたら、なんと向こうからやってきた。2016年、国立科学博物館で「ラスコー展」が開かれ、実物大レプリカが公開されたのだ。これはそのレプリカの模写。
ヴィレンドルフのヴィーナス 2019 13×7.5cm 個人蔵
"Venus of Willendorf" private collection
2、3万年前につくられたと推定される先史時代の女性像。高さは約11センチの手のひらサイズで、この絵はほぼ原寸大。2018年3月、驚くべきことに、フェイスブックはこのヴィーナス像のネット画像を「ポルノ」として削除したのだ。でもどう見たって劣情を催すはずがないと非難が殺到し、削除は誤りだったと謝罪した。検閲を巡る笑い話だが、しかし2、3万年前の若者は、これを見て劣情を催したかもしれないし、そのために片手で持てるサイズにしたのかもしれない、くらいの想像の余地は残しておきたい。
踏み絵 2007 22.5×18cm 
目で見るのではなく、手で触れるのでもなく、足で踏むためにつくられた絵というのは世界でも珍しいだろう。正確には、足で踏む前にいったん見るという2段構えの絵画形式だ。よく知られているのはレリーフ状の聖画で、そのほうが平面の絵より足の感覚に訴えるはず。だから目で見てその価値を理解した人は次の段階に進むことができず、価値を認めなかった人は足裏で「鑑賞」することができた。つまり、絵の価値を理解できる人ほど鑑賞できないという矛盾にこそ、この絵の存在価値があった。
真珠の耳飾りの少女Ⅱ 2012 45×39.2cm 
”Girl with a Pearl Earring II”
フェルメールの名画に触発されたトレイシー・シュヴァリエの小説「真珠の耳飾りの少女」。それをピーター・ウェーバー監督が映画化した。主演はまだ18歳だったスカーレット・ヨハンソン。そのスチル写真をフェルメール風に輪郭をぼかして描いてみた。
真珠の耳飾りの少女Ⅲ 2012 45×39.2cm 
”Girl with a Pearl EarringⅢ”
2012年、フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》を含む「マウリッツハイス美術館展」が開かれ、武井咲がキャンペーンガールとして名画の少女に扮した。スカーレット・ヨハンソンの少女像と同じく、ややぼかして描いた


クールベ《石割人夫》 2007 16.6×25.9cm 個人蔵 
Courbet”The Stone Breakers”private collection
クールベの初期の社会主義絵画《石割人夫》は、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』が出版された1848年から翌年にかけて描かれ、ドレスデン絵画館に収蔵されていた。第2次大戦末期の1945年2月、ドレスデン空爆により絵画館は甚大な被害を受け、この作品も150点を超える美術品とともに焼失したとされる。もし無事であったら、戦後東ドイツで社会主義のプロパガンダに使われていたかもしれない。
贋作・盗作 2013 210×1100cm    fake art/plagiarism”
古今東西、贋作や盗作は尽きることがない。もともと絵画も彫刻もむりやりこじつければ、現実世界の贋作・盗作といえないこともない。これは代表的な贋作・盗作を並べたもの。左から、①ボッティチェリの贋作。1930年、ボッティチェリの初期作品として高額で取引されたが、美術史家のケネス・クラークが疑問を呈し、科学的調査の結果、近代の贋作であることが証明された。②フェルメールの贋作。1938年、オランダのボイマンス美術館が高額で購入したが、戦後メーヘレンが自分が描いた偽物であることを告白。彼はナチスのゲーリングに別のフェルメール作品を売った容疑で逮捕されたが、自分が描いたものだと自供し、ほかのフェルメール作品も次々と彼の贋作であることが明らかになった。これによって彼は敵国に名画を売った売国奴から、ナチスを欺いた英雄に祭り上げられた。③ルネサンス彫刻のコピー。これは彫刻職人バスティアニーニによる模刻だが、やがて彼は金儲けのため贋作に手を染める。しかし完成度が高いため、ヴィクトリア&アルバート美術館は同作をコピーと知りながら高額で購入。④(右上)ゴーガン、⑤(左上)ゴッホ、⑥(下)ドランはそれぞれ、ブリヂストン美術館、大原美術館、国立西洋美術館が購入し、常設展示していた作品だが、贋作の疑いが強まり現在は展示されていない。⑦中世の祭壇画の贋作。1858年、大英博物館はゴシック様式の珍しい象牙彫刻の祭壇画を購入したが、偽物と判明、しかし調査を続けるうち、裏面は中世の重要な板絵であることがわかった。⑧平成の盗作。2006年に芸術選奨を受賞した和田義彦の作品が、イタリア人画家アルベルト・スギの作品と酷似していることが判明し、授賞が取り消された。和田を推した美術評論家との癒着も明るみに。⑨(上)「モナリザ」のコピー。世界で最も贋作・盗作・コピー・パロディの標的にされる名画といえば「モナリザ」。「⑩(下)「モナリザ」のパロディ。2004年、バンクシーはこのニコニコ顔の「モナリザ」をルーヴル美術館に勝手に展示した。⑪ゴヤの偽物。19世紀のゴヤの追従者ベラスケス(もちろん有名なベラスケスではない)が、ゴヤ風に描いた《岩の上の街》。贋作でも模写でもないが、オリジナルと紛らわしく、20世紀までゴヤ作品と見なされていた。

泉 2019 27.5×27.5cm 個人蔵 Fontaine”

1917年、マルセル・デュシャンはニューヨークのアンデパンダン展に《泉》と題する男子用便器を出品したが、展示を拒否されてスキャンダルとなった。後に、20世紀美術に最も大きな影響を与えることになるこの「作品」は、写真家スティーグリッツが運営する画廊291に展示され、スティーグリッツ自身が撮影した後、紛失してしまう。だからオリジナルの《泉》は唯一この写真でしか見られない(ただの便器だけど)。これはそのモノクロ写真をカラーで再現したもの。便器の背景の絵柄がマースデン・ハートリーの絵画《戦士たち》であることは知られていたが、ネットで調べたところ鮮やかな色彩であった。
キャパ 2019 31.8×40.5cm Capa
戦場カメラマンのロバート・キャパが最後に撮ったとされる写真。キャパはこのあと右側の少し高いところで銃弾に倒れた。死んだ人の記憶は再生できないが、フィルムには最後に見たであろう風景が焼きついている。模写していたら、なにか印象派の風景画のようになったので、人物を薄めて白昼夢感を強調してみた。臨死の人が見た光景。
平成 2019 44×32cm ”Heisei”
「平成」は唐突にやってきた。それも初めは「書」として(小渕官房長官の顔とともに)目に飛び込んできた。「ヘーセー」の音より、まず書字として視覚的に刷り込まれた。揮毫したのは、内閣府の辞令専門官で書家の河東純一氏だという。そんな専門職があったのか。「書ハ美術ナリシカ」。あれから30年、「昭和」ほど定着しないまま「平成」が終わり「令和」が始まったが、その発表は予告されていたこともあって、盛り上がりはしたものの「平成」のときほどのインパクトには欠けた。洋画の先駆者である小山正太郎が「書ハ美術ナラス」論を唱えたのが1882年。「平成」を絵として描いてみた。

サンタ・フェ 2019 50.2×25.3cm "Santa Fe"   ムンク《叫び》 2019 45.6×27.2cm MunchThe Scream”

サンタ・フェ  1991年、当時人気絶頂だった宮沢りえをモデルにした篠山紀信のヌード写真集『Santa Fe』は、空前の155万部を発行。実はぼくは表紙写真しか知らず、中身を見たのは今年(2019)になってから笑。いまさらながら「日本人離れ」した腰の高い見事なプロポーションに感心した次第。で、思い出したのが、黒田清輝の《智・感・情》という3連画。こに描かれた3人の日本人女性のヌードは、明治時代にはありえない足の長さを誇っている。いくら絵空事とはいえ、いくら理想的プロポーションを追求した構想画とはいえ、それはないだろ。ということで、1世紀余りの時を経て両者を合体させてみた。蛇足だが、篠山は同じ年に樋口可南子をモデルにした写真集『water fruit』を出版し、ヘアヌード解禁と騒がれた。これらを混同して『Santa Fe』のほうもヘアヌード写真と勘違いしている人がけっこういるが、違うぞ![平成3年]
ムンク<叫び>  おそらく世界で2番目に有名であろう名画、ムンクの《叫び》。この作品、1893年から世紀をまたいで5点のヴァージョンが描かれたが、いちばん有名なのが第1作目。ノルウェイの至宝としてオスロ国立美術館に展示されていたが、1994年2月、リレハンメル冬季オリンピックの開会式の早朝に強奪された。犯人の2人組は美術館の2階にはしごをかけ、窓を割って侵入し、《叫び》を額縁ごと壁から外して1分足らずで逃走。現場には「手薄な警備に感謝する」とのメッセージが残されていた。しかし3カ月後、ロンドン警視庁美術特捜班とノルウェイ警察特捜班のおとり捜査で奪還に成功した。これは犯行現場のモノクロ写真より描き起こしたもの​​​​​​​

赤いチョッキの少年 2019 50×65cm  The Boy in the Red Vest”

2008年、スイス・チューリヒのビュールレ・コレクションに武装した3人組が押し入り、モネ、ドガ、ゴッホ、セザンヌの作品4点を強奪。モネとゴッホの作品はすぐ見つかったが、評価額90億円とされるセザンヌの《赤いチョッキの少年》は行方不明のまま、4年が過ぎた。2012年、犯人と取引しようとしていた美術品バイヤーの協力で、ベオグラードで無事発見。これは発見時の画像の背景にサントヴィクトワール山を配したもの。


2014年6月27 2019 24×33.5cm

この日、河原温死去。河原は1966年から、その日の日付をその日のうちに描く「TODAY」シリーズを開始。キャンバスのフォーマット、色彩、書体をいくつかのパターンに限定し、毎日ではないが1日1点これを「描く」のを日課にしていた。河原はこの作業を「I am painting this painting」と言い表した。[平成26年]

徴用工像 2019 45.7×33.3cm  ”wartime laborers

慰安婦問題に続いて起きた徴用工問題。そのシンボルとしてつくられたのが「徴用工像」だ。作者は「少女像」と同じキム・ウンソンとキム・ソギョン。このやせ衰えた徴用工像を見たとき思い出したのが、極限まで肉を削ぎ落としたジャコメッティの彫刻だ。しかしジャコメッティに比べれば肉づきが中途半端に感じられたので、デッサンし直してみた。

シュレッダー絵画 2019 67.5×46.5cm  shredder painting”

1901年、黒田清輝はパリで描いた《裸体婦人像》を第6回白馬会に出品したが、警察が風紀を乱す「春画」と見なしたため、画面の下半分を布で覆うことにした。後に「腰巻事件」として語り継がれることになるスキャンダルである。2018年、ロンドンのオークションハウスでバンクシーの絵画《風船と少女》が約1億5500万円で落札された。ストリートアーティストの作品が高額で競り落とされたことにも驚いたが、その直後、画面が下にスライドし、額縁の下から細切りになって出てきたのにはもっと驚いた。落札された瞬間、額縁の裏に仕掛けたシュレッダーが遠隔操作により作動したのだ。もちろんこれはオークション会社も巻き込んだバンクシーの「悪戯」。ただし、シュレッダーが途中で止まってしまったのは予期外の事故だったようだが、でもすべて裁断するより、このほうが作品としてより価値が上がりそうだ。これにより「シュレッダー絵画」という新たなジャンルが確立。さっそく《裸体婦人像》の下半身をシュレッダーしてみた。
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