絵画には主題があり、主題を読み解くことが絵画の理解への第一歩となる。たとえばフェルメールの《デルフト眺望》の主題は、タイトルどおりデルフトという街の眺めだが、驚くことに街景は画面下半分に収まり、上半分は空(雲)しか描かれていない。これは、低地のオランダは空が広いことを表わしていると同時に、地上では人々が日々の生活を営み、街が刻々と変化しているのに対し、空は何千年も何万年も変わらす悠久の時を刻み続けているという、天と地の対比を表わしていると読み取ることもできる。主題は街景だが、それを相対化するかのようにあっけらかんと空を大きく描いているのだ。
ドラクロワの《ポワティエの戦い》も、ターナーの《奴隷船》も、ジェリコーの《エプソムの競馬》もそうだ。いずれも画面下のほうでは壮絶な争いを繰り広げているが、上を見ると「なにをちまちま小競り合いをやってるんだ」といわんばかりに大空が広がっている。主題なんて「上の空」なのだ。でもいまの時代、主題に振り回されず、視線を外して「上の空」を眺め、焦点を無限大にしてみることも必要なのではないか。そんな「上の空」ばかりを描いてみた。
デルフト (フェルメール「デルフト眺望」に基づく) 490 × 1175cm
Delft(based on”View of Delft” by Vermeer )
《デルフト眺望》は、17世紀オランダの画家フェルメールがデルフトの街並を描いたもの。といっても画面の上半分を空(雲)が占め、街景は下半分に押し込められている。なぜこんなに空が広いのか。オランダは低地だから空が大きいことを強調したという解釈も成り立つが、それよりも天(自然)と地(人間)の対比を際立たせようとしたと考えたい。デルフトの街は12世紀頃に成立し、16世紀にはオランダ独立戦争(80年戦争)の主導者オラニエ公ウィレム1世が居を構えて発展、17世紀には絵画やデルフト焼など美術工芸産業が栄えた。そして、同作が描かれる6-7年前の1654年には、火薬庫に蓄えられていた40トンの火薬が大爆発、街の4分の1が壊滅し、数千人の死傷者を出したとされるが、数年で復興を遂げた。このように、地では街景が10年、100年単位でめまぐるしく移り変わるのに対し、天は千年も万年も変わることなく時を刻んできた。その対比を表わしているのではないか。
ポワティエ (ドラクロワ「ポワティエの戦い」に基づく)570 × 1460cm
Poitiers( based on ”Battle of Poitiers” by Delacroix)
《ポワティエの戦い》は、百年戦争の一環として戦われたフランスとイングランドの争いを描いたドラクロワの作品。1356年、ポワティエの戦場でジャン2世の率いるフランス軍と、エドワード黒太子を総帥とするイングランド軍が激突するシーン。画面は地平線でほぼ2分され、戦闘場面は下半分に集中し、ジャン2世の頭部と旗や槍が上半分に突き出している。ジャン2世が敗れることを暗示するかのように空は荒れ模様。
嵐 (ジョルジョーネ「嵐(ラ・テンペスタ)」に基づく)410 × 730cm
La tempesta(based on"The tempest"by Giorgione)
《嵐(ラ・テンペスタ)》はヴェネツィアの画家、ジョルジョーネの1508年頃の作品。上半分だけでは単なる風景画だが、下半分には右手に半裸の女性と乳飲み児、左手には杖を持つ男性が描かれている。これらの人物についてはジプシーとか娼婦とか兵士とかさまざまな解釈がなされてきたが、いまだ主題がなんであるのかは不明。確かなことは空に稲妻が走っていること。ここから《嵐》と題されることになったが、もし嵐が主題であるならば、人物の描かれた下半分より、風景だけの上半分のほうが重要ということになる。
奴隷 (ターナー「奴隷船」に基づく)450 × 1215cm
Slave(based on"Slave Ship"by Turner)
《奴隷船》は1840年に描かれたイギリスの画家ターナーの作品。19世紀まで欧米ではアフリカで買った奴隷を運ぶ奴隷船が運行していたが、狭い船内に数百人の奴隷をすし詰め状態にして運ぶため、死者や病人が続出、ときに重量を軽くするため、また保険を得るため奴隷を海に捨てることがあったという。画面下では海に捨てられた奴隷たちが魚に食われる悲惨な光景が描かれている。
ラスメ (ベラスケス「ラス・メニナス」に基づく) 795 × 1380cm
LASME (based on"Las meninas"by Velázquez)
《ラス・メニナス》はスペインの画家ベラスケスによる1656年の作。318×276cmの大作で、マルガリータ王女を中心に女官や侍従、画家本人らを描いたもの(本作のみ2分の1サイズに縮小)。人物は全員、画面の下半分に収まり、画家の頭頂部だけがわずかに上半分に出ている。従って上半分に認められるのは、暗い天井と壁、画中画、そして巨大なキャンバスのみ。下半分を見ると、正面の鏡には国王(フェリペ4世)夫妻が映っているので、画面の手前には国王夫妻がいることになる。さて、この絵はだれが見た光景なのか。画家自身か、それとも国王夫妻か。
窓辺で手紙 (フェルメール「窓辺で手紙を読む女」に基づく)415 × 645cm
a Letter at an Open Window(based on"Girl Reading a Letter at an Open Window" by Vermeer)
《窓辺で手紙を読む女》は、フェルメールの比較的初期の1657年頃の作品とされる。左側の窓から光が入る女性の単身像というフェルメールの典型的な作品。当初、右上の壁にはキューピッドの絵が掛けられ、右手前にはワイングラスが描かれていたが、塗りつぶされてカーテンに描きかえられた。当時のオランダでは作品保護のため、絵の前にはカーテンを掛ける習慣があり、これは本物のカーテンと錯覚させるだまし絵的な趣向であると同時に、カーテンの脇からそっと女性をうかがう「のぞき見」的な効果もあるだろう。ちなみにキューピッドやワイングラスは、女性の読む手紙が不倫相手からのものであることを暗示させる。
エマオの (レンブラント「エマオのキリスト」に基づく)340 × 650cm
at Emmaus(based on"The Pilgrims at Emmaus " by Rembrandt)
《エマオの晩餐》はレンブラントの1648年の作品。主題は、イエスが復活した日に、エマオ村に向かっていた2人の弟子がイエスと知らずに出会い、夕食をともにするが、男がパンをちぎって分けた瞬間イエスだとわかったという聖書の逸話に基づく。イエスは下半分に隠れ、後光しか見えない。
"The Supper at Emmaus" is painted by Rembrandt in 1648 . The theme is based on the story of bible, where two disciples heading to the village of Emmaus met Jesus without knowing and had dinner with him, but the moment the man shared the bread, they found him Jesus. Jesus is hidden in the lower half and only the halo is visible.